東急こどもの国線は延伸妄想のはかどる路線である(1)

町田市周辺の鉄道路線図を見ていると、子供でもわかるような間違いがひとつあることに気付く。

まず、小田急多摩線が中途半端な唐木田駅で終わっている。唐木田駅終点の列車に人は魅力を感じるだろうか?どうせならそのまま相模原駅方面に繋げてしまえば良いのである。それから、小田急多摩線と言えばはるひ野あたりから京王相模原線との不可解な並走である。永山から多摩センターまで乗りたいときはどっちに乗れば良いの?哲学的問題だ。そして、中途半端な多摩センター止まりの多摩都市モノレール。町田市は神奈川県なのでモノレールは延ばせませんという嫌味にしか見えない。

うん、間違いがひとつでは済まなかった。町田市周辺の鉄道事情は色々とおかしい。

どうしてそこで力尽きちゃったの?こどもの国線

でもほら、もっと子供でもわかるような間違いがひとつあるでしょう。ヒント:子供。
そう、長津田駅を出発して、3.5kmほど北上したところにあるこどもの国駅であえなく力尽きてしまう東急こどもの国線である。小田急線の鶴川駅まで延ばす場合の半分の距離を既に稼いでいるうえに、もし延伸するとしたら途中にTBSの緑山スタジオなどもあり、全くの未開地を通るわけではない。東急電鉄の幹部に酒席の勢いでもあれば鶴川駅まで繋げたくなっちゃうんじゃないのと思われる路線なのだが、何故かこれまで延伸が実現せず、かといって廃線にもならず放っておかれているのである。

こどもの国駅

そもそも何のために存在しているの?

総延長3.5km、所要時間わずか7分のこどもの国線がどうしてバスなどにも取って代わられることなく存在し続けているのか、まずはそこから突っ込んでみよう。
東急こどもの国線は元々、現在のこどもの国がある場所にあった大日本帝国軍の施設、通称田奈弾薬庫への引き込み線として敷設された。引き込み線というのは工場や倉庫などに大量の荷物を引き入れるために延ばされた鉄道のことで、現役のものでは東京湾の港湾部などに多い。あるいは町田周辺で気付き易いのは、JR横浜線の淵野辺駅から相模総合補給廠へと延びていた引き込み線の遺構だろうか。淵野辺駅で横浜線の線路の奥側に一本見える謎の線路であったりとか、矢部駅の踏切脇にある線路の残骸であったりとか。この補給廠への引き込み線は1979年に廃止されるまで稼働していた。
東急こどもの国線の場合、引き込み対象となった田奈弾薬庫は1945年の太平洋戦争終戦を経て米軍の施設となり、1961年に土地が日本に返還されるまで軍事施設として利用され続けた。ただ、米軍による引き込み線の利用はあまり積極的でなく、返還されて即列車を運行できるといった状態ではなかったようである。返還地の利用方法として、今上天皇ご成婚(1959年)記念で各地から集まったお祝い金を基金として、子供のための厚生施設こどもの国の開園が決まり、園は1965年5月5日にオープン。そして遅れて1967年に引き込み線の線路を整備し直して利用したこどもの国線が開業となったわけである。

路線活用方法に足かせがあったこどもの国線

ご成婚記念で開園したこどもの国は、国策のプロジェクトであったために「こどもの国協会法」という法律が作られ、特殊法人こどもの国協会(1981年からは、社会福祉法人こどもの国協会)によって運営されるというスタイルを取った。こどもの国線についても鉄道設備の所有者がこどもの国協会で、列車の運行が東急電鉄という形で運営が為されていった。田園都市線が長津田駅まで延伸されたのが前年の1966年であるから、当時の東急としては大井町方面からの(渋谷-二子多摩川間は1977年開通)旅客輸送の終着地として、こどもの国に田園都市におけるレジャー的集客力を期待していたということが分かる。
さて、重要なのは鉄道設備の所有者が公益法人であったことで、路線の活用方法についてはこどもの国の運営という原則を超えて利益の追求を目指せないという足かせがつきまとっていた。そのため路線周辺の開発が進み通勤路線としての需要が高まってもなお、長津田駅とこどもの国駅以外の新駅の設置は1997年の横浜高速鉄道への所有権譲渡まで待たなければならないほどであった。
1997年の所有権譲渡はまさに通勤路線に転換する目的によるものであった。2000年に東急の長津田車両工場に隣接する箇所に新駅の恩田駅が開業し、現在に至るというわけである。

こどもの国線が中途半端で終わっている理由!

つまりまとめると、こどもの国線が中途半端な位置で終わっているように見える理由はこんな感じだ。

  • そもそも引き込み線だったので、最終目的地=現こどもの国駅が絶対であった(双方向アクセスの必要が全く無い)
  • 米軍から返還されてこどもの国線として開業した後も、こどもの国への引き込み線という用途外の使い方が出来なかった
  • 上記の理由から、延伸の可能性はゼロと踏んで、路線の延長上で思いのままに開発が進んでしまった
  • 足かせがやっと取れたと思ったら、鉄道延伸する時代ではなくなってしまっていた
  • 車両工場があるので、東急としては残しておくのに都合が良い
  • 町田は神奈川県

こんなにも沢山の理由があり、現在のどっちつかずなポジションを保っている。また、仮に小田急線の鶴川駅を最終目的地として接続したところで、そもそも小田急線の町田駅-鶴川駅間がこどもの国線の長津田駅-こどもの国駅間より短いという状況において、利用者を奪える可能性があるとは考えにくい。かといって欲張って多摩センター駅辺りまで延伸することを検討するならば、単線であることが非常に辛い。よって、合理的理由で生殺しになっているのである。

…とはいえ、延伸妄想家としてはこのまま引き下がるわけにはいかない。なんとかしてこどもの国線を延伸して、路線図上での気持ち悪さをなくしてみたいのである。そこで妄想延伸案を一つ考えた。驚愕のその内容とは…次回、乞うご期待!

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