相模原市と座間市は仲が悪いというのはホント?
前回の記事では、2015年に行われる予定の交通政策審議会に向けての、神奈川県の自治体による既存路線延伸誘致合戦について触れたけれど、記事を書いていて大変なことに気付いてしまった。
相模原市は署名など集めて、小田急多摩線の延伸を求めている。現在の唐木田駅止まりの多摩線を相模原駅、上溝駅まで延ばして、ゆくゆくは厚木に接続しようと望んでいる。つまり、実現の暁には新百合ケ丘と厚木(おそらく本厚木だと思うけど)の間で、小田急小田原線と競合する路線ができてしまうことになる。
もしそんなものが実現してしまったら、町田駅はますます求心力を失ってさびれるだろう…と捉えていたのだけれど、実は別の狙いがあったのだ。それは小田急小田原線座間市の2駅!
そもそも歴史的な相模原市と座間市の関係
相模原市には、戦時中に8つの町村がさながら平成の大合併のような合併をして、その結果新自治体に「相模原」という名前がつけられたという設立経緯がある。背景には、軍事施設の多い神奈川県北部中部について、軍都として一括管理したいという陸軍の意向があった。
なにせ戦争の時代なので、合併自治体の意向などは慮られない。現在の座間市にあたる座間町もイヤイヤ合併して、新生「相模原町」に参加した。
その後戦争が終わると、「相模原町」の大合併に乗り気でなかった自治体において、分離独立の機運が首をもたげる。座間町、相原村、大野村と、当時の相模原町の中心地であった上溝へのアクセスが悪い自治体が独立を目指し、座間町については何度か要請が退けられた後、1948年9月1日に再独立を達成する。状況を変えたのは、戦時合併の場合住民投票での分離独立を容認するという地方自治法の改正の動きであった。座間町はこの動きと同調して、相模原町側に”円満”解決を迫ったのだ。
結果、旧相模原町から座間市がイヤヨイヤヨで独立したという歴史が残った。これが現在においても相模原市と座間町が相容れず、合併の可能性がほぼ無いと思われている原因である。ちなみに…相原村と大野村は座間町と同じく独立することを選ばず、市の中心部をアクセスの良いJR横浜線沿いへと移動することを条件に残留した。オイシイところをゴネて勝ち取ったのだが、これは遺恨を生むような歴史として残っていない。不思議。
相模原市と座間市という対立軸を妄想
相模原市としては、政令指定都市になった現状、「座間市?ああ昔そんなメンバーもいましたね」と少しも気にしていないそぶりを見せつつ、「すいっませんでしたぁぁぁ!!」と座間市が頭を下げてくるのを期待している。かもしれない。そこで、一応小田急小田原線が通っており、東京都心部へのアクセスで完全勝利している状態の座間市の唯一の取り柄を、遠回しに奪いに来ている。それが、小田急多摩線厚木延伸に秘められた真の意図である!
町田の影が薄い
もしこの計画が実現したら、町田が完全にとばっちりを喰う。なんという…
町田はもう少し危機感を持つべきではないだろうか。あるいは、座間包囲網への参加を条件に相模大野と東林間を割譲してもらい、江の島線だけで生き繋いでいくとか。
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Comment
相模原と座間の因縁はもっと古いものです。
そもそも座間がなぜ合併に消極的だったのか、そこを考える必要があります。
現在のキャンプ座間、当時の士官学校の誘致の際にも、反対の相模原側の麻溝・新磯と賛成の座間で対立しています。この因縁がキャンプ座間の返還運動に積極的な座間に対して、相模原の冷めた姿勢に反映しているのかもしれません。さらに新磯が座間への合併を拒否したことが相模原の成立に影響しています。新磯は明治時代にも麻溝と座間の間で逡巡し、結果麻溝との連携を選んでいます。
また相模大野方面でも、江戸時代初期に原野を巡り、上鶴間や鵜野森、淵野辺などと座間の農民が戦っています。このときは騎馬まで繰り出して結構な戦いになったそうです。
これより以前は詳細は不明ですが、海老名の有鹿神社では、磯部の有鹿神社の神と座間の鈴鹿神社の神の戦いが社殿として伝わっています。
最後に、相原等の要求で上溝から市役所が移った件で因縁が残らなかったのは、誰が見ても合理的だったことが大きいと思いますが、もともと原野だったことで旧各村の因縁が薄かったこと、なんだかんだ元市役所も一応上溝のエリアをかすめていることなどもあると思います。
当時の指導層の配慮が行き届いていた結果なのでしょう。
そんな深い所にまで因縁が…
天皇の士官学校行幸や「相武台」命名経緯にも、きっと意図があったのでしょうね。結果全部裏目に出てしまっているような気もしますが…
元市役所は現市役所の間違いです。
相模原の市役所などの官公庁は上溝駅から西門に至る道路上にあります。
相模原駅からは直線では行けなくなっています。合理的ではありませんが、これも合併時の西側各町村(新磯・麻溝・上溝・田名)への配慮かもしれません。
もっとも相模原は車社会なので、市役所については、駅から中途半端でも遠いことがかえって幸いした面もあります。
相模原市役所周辺は確かに車さえあればアクセスは困らなそうですね。
車が生活の中心>郊外型大型モールなどができる>駅前商店街が寂れる…というデメリットもありますが。