近年、東京都のラーメン屋でも、年越しラーメンを提供するところが増えてきたように感じます。また、年越しラーメンを提供するようになった事自体が新たな試みの出現ということで、ニュースとして報じられています。
こういった傾向に対して、町田をよく知る人は「今更?」「もはや毎年恒例行事のレベルだろ」という感想を抱くに違いありません。なにしろ、町田のラーメン屋が年越しラーメンを出すようになったのは、もう10年以上前のこと。現在では市内の店にとって大晦日は重要な搔き入れ時になっており、各店とも工夫を凝らした限定メニューを出しています。
そもそも何故町田に年越しラーメンの文化が早くに入り込んだのか、事情にはそこまで詳しくありませんが、2通りのルートの予想が出来ると思います。
飛騨高山→新横浜ラーメン博物館ルート
年越しラーメンの風習がある地方の一つとして、岐阜県の飛騨高山が挙げられます。正確には「年明け」ラーメンになるのかもしれませんが、新年が明けると高山の人々は街のラーメン屋に繰出して、ラーメンをいただくそうです。
この年越しラーメンの風習が、関東に知れ渡ったのが1996年、飛騨高山の「やよいそば」が新横浜ラーメン博物館に出店したとき。以来、新横浜ラーメン博物館の企画として年越しラーメンがプッシュされるようになり、それが有名になってか横浜辺りのラーメン屋で、年越しラーメンを見かけるようになりました。横浜から神奈川全域に広まり、町田にも流入したというのが一つの仮説です。
北海道→町田市「雷文」ルート
年越しラーメンの風習がある地方は、もう一つ。北海道の一部でも年越しラーメンが食べられるそうです。町田市には有名な室蘭ラーメンの老舗「雷文」があり、この店では年越しラーメンを昔から提供、大晦日にはラーメン通が押し掛けることで有名です。
雷文の出店は1991年ですから、前述の新横浜ラーメン博物館への「やよいそば」の出店より前になることになります。雷文がオープン当初から年越しラーメンを提供していたのかはわかりませんが、近隣自治体に比べ町田市の年越しラーメンの提供率が高いことを説明付けてくれるでしょう。
町田市内で今年も年越しラーメンを提供する店舗は数多くあります。たとえば、以前紹介した「胡心房」、それに森野の人気店「進化」など。たいてい提供日はひどい混み具合なので、余裕を持って出かけて、なおかつ売り切れの可能性も考慮する必要がありです。
町田を含め神奈川県の伝統的風習になったら面白いですね。
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