現在のJR町田駅は、1980年に小田急線の町田駅側にググっと近づけたものだという説明を、再三再四にわたってしてきた。それでは、旧来のJR町田駅(当時は国鉄原町田駅)が存在していた場所はどうなったのだろう?そんな疑問も湧こうというものだが、ここでもやはり、町田駅周辺で無駄に一番目立っているグループが挙手して、跡地物件を取得している。もちろんそのグループとは東急だ。
町田駅が接近した時点で、東急には東急田園都市線を町田に乗り入れるつもりがあったのだろうということは、既に書いた。来るその時のために、東急百貨店が町田駅前の一等地、現町田東急ツインズの場所を取得している。一方、東急電鉄側が取得したのが、この原町田駅跡地の商業棟部分だった。取得当時どのような思惑があったのか定かではないが、現在でもJR町田駅にターミナル口という改札があるため、一応JR駅の改札出てすぐの物件ではある。
ターミナルプラザの何がターミナルかというと、多摩地区で乗降人数1位というバスをここでさばいている。かつての両町田駅の距離が離れていたこともあり、町田のバス乗り場・ルートは混乱を極めていたのだが、それを整理する意味でターミナルプラザが必要であったのだ(整理してなお町田駅・町田バスセンター・町田ターミナルの3本立てではあるが)。
ともあれ、ターミナルプラザの商業棟には東急ハンズが入居する。よって一時期は、町田の街に東急百貨店と109、東急ハンズが存在していた。これで東急電鉄の路線と全く関係ない街だったというから驚きである。しかし、東急百貨店が2007年に現町田東急ツインズという専門店ビルに移行する際に、東急ハンズもターミナルプラザを離れてツインズに入居したのである。
現在では、商業棟自体の所有者は依然東急であるものの、建物にはファーストリテイリングのミーナが入居している。
以上、町田のいくらか影っぽい部分を引き受けているのがターミナルプラザだということ、理解していただけたのではないかと思う。一応旧駅前商店街の希望どおり町田に人が回遊する街としての性格は残ったから、旧マラソン道路を通じてターミナルプラザの方にも人の流れはあるのだけれど。ただ、本格的にこの辺りが栄えるためにはどうにか南口側とも連携していく(南口側開発の中心点となる)必要があると思うのだけど、残念ながら南口側には宗保院という寺院があり上手く連携できなくなっているのです。
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