多摩都市モノレールの八王子駅延伸ルートは、町田市が神奈川県になった場合の保険だった?

去る6月30日に、多摩都市モノレールの町田駅延伸を目指すシンポジウムが町田市内で行われ、延伸が各所で話題になっている。まあ、各所と言っても主に町田市内なわけだけど。
なぜ今のタイミングでまた延伸要望の気運が高まっているのか、交通政策審議会の開催タイミングに絡んで云々といった事情は以前記事の中で説明した筈なので、そちらについても参照していただきたい。

八王子駅延伸ルートの存在意義に疑問

今回行われたシンポジウムでも、焦点となったのは交通政策審議会上での、町田駅延伸ルートの”検討”路線からの格上げである。ところで、多摩都市モノレールで現在”検討”ルートとなっているのは、実は町田駅延伸ルート以外にもう一つある。それが多摩センター駅を出て小田急多摩線の唐木田駅、京王相模原線の南大沢駅などを通過し、八王子駅まで延びるルートである。このルートが町田駅延伸ルートより先に実現する可能性はあるのだろうか。というより、そもそも現在の路線と著しく異なる方向に伸びるこのルート、何故計画として存在し、さらに”検討”ルートとされているのか。疑問が生じないこともないだろう。

多摩都市モノレールの当初計画

多摩都市モノレールの建設案がいつどのようにして出来上がっていったのかというと、1977年に米軍の立川基地が返還されたことを契機に、立川市を中心とした多摩都心を建設するという計画がもちあがり、1982年の東京都長期計画の中に盛り込まれたことに始まる。その計画の中に登場した多摩都市モノレールは、傾斜地が多い多摩都心の交通手段として、都市間を縦横無尽に結ぶことが期待されていた。まあ、バブルの時代柄、どうしても計画は現実離れしたダイナミック・パワフルなものになっていったのだが、とにかく計画を実現するために、多摩都市モノレール株式会社が第三セクター方式で1986年に設立された。
したがって、多摩都市モノレールの当初の存在意義というのは、多摩都心立川市を取り巻いた壮大な交通インフラというものであった。そして、路線は立川駅を経由する8の字型の周回軌道が予定されていた。現在でも計画路線として、北は箱根ケ崎駅、東は現開業路線の上北台駅-多摩センター駅間、南は先程紹介した八王子駅ルート、西は八王子駅から箱根ケ崎駅を目指し、さらに中央に立川駅-八王子駅の短絡ルートを持つという、ちょうど7セグで数字の8のようなルートが残っているだろう。この8の字構想がまずあって、町田駅方面への延伸はどちらかと言うとそのオマケのようなものであった。

計画路線の見直しで、八王子駅延伸ルートは残る

とは言え、その後のバブル崩壊。計画が冷静に見直されるようになると、多摩都市モノレールの開業路線である上北台駅-立川駅間ルートの直線的延長とならないルートは、実現の可能性が低いものとして考えられるようになった。
2000年に開かれた運輸政策審議会(現交通政策審議会)での格付けは、既に紹介したとおりである。8の字構想が否定される一方で、町田駅延伸ルートは”検討”路線としてある程度は必要性を認められたのである。
それで、八王子駅延伸ルートの話に戻る。この運輸政策審議会上で、8の字の下辺であった八王子駅延伸ルートも”検討”路線となった。8の字が否定された状況で、京王相模原線やJR横浜線・相模線といった既存路線が通じている場所に、何故モノレール計画が残り続けたのだろうか。

八王子駅延伸ルートは町田市に対する牽制だったかもしれない

ここで運輸政策審議会の開かれた2000年当時の状況を見てみる。キープレイヤーは、毎度のことながら相模原市だ。当時まだ津久井郡4町を吸収していなかった相模原市は、他市町村との合併によりいかに市域を拡げるかで苦心していた。というのも、1994年の地方自治体法改正により登場した中核市という特例自治体の認定に、人口30万人以上、面積100km²という要件があり、相模原市は人口要件を問題なく満たしていたものの、面積がおよそ10km²程足らず認定おあずけを食らっていたからだ(ちなみに、座間市が戦後に独立していなければ、100km²を超えていた。ああ因縁)。
相模原市の中核市昇格問題は、最終的に2002年に地方自治体法が改正され、人口50万人以上であれば面積要件が必要無くなったため、2003年に中核市認定がされる形で解決する。しかしながら、2000年前後の相模原市は市域拡大のための合併相手を模索していたことは確かであり、その際にあまり例のない都道府県の越境合併とはなるものの、町田市を相手先として考える動きがあったようだ。
町田市の側でも、そうした提案を全く一笑に付すという態度ではなかったようだ。1999年の第5次首都圏基本計画では、相模原市と町田市が全国初の都道府県の枠を超えた業務核都市に指定され、2000年には、「町田・相模原広域連携ミレニアム・シンポジウム」という両市市長を迎えたシンポジウムが開かれる。そのようにして行政の広範囲における連携について協議されるが、そうした流れから、特に草の根・市民レベルで連携の延長線上の合併が語られるようになっていった。
こうなってしまうと、東京都が出資する多摩都市モノレールとしては、帰属が不安定な町田市への延伸に消極的にならざるを得ない。東京都が負担した金で町田市にモノレールが開通した後、相模原市との合併で神奈川県側に寝返られたとなったら大損である。
そこで、もし町田市が神奈川県を選ぶのであれば、多摩センターまでのモノレール乗客を町田市方面には流さない、という意思表示のために、八王子駅延伸ルートが生き残ったのではないだろうか。実際に八王子駅延伸ルートの予想経路を見てみると、本当に町田市の市境ギリギリ北をかすめており、僅かな部分しか町田市に重なっていない。これは将来町田市が神奈川県に下った際の、神奈川県境ギリギリのルートという想定であったのではないだろうか。

八王子駅延伸ルートの役目は終わった?

そうであるならば、相模原市が津久井郡4町を吸収して政令指定都市となり、町田市が相模原市と合併する可能性が低くなった現状、特に逼迫した需要のない八王子駅延伸ルートは2015年の交通政策審議会でお役目御免となるのではないだろうか。一方、町田駅への延伸ルートについては、東京都のインフラ事業として晴れてお墨付きが出そうである。財政面の問題がクリアされれれば、”推進”路線への格上げをとりあえず楽観視していて良いだろう。
ただ、もしこうした裏事情の読みが間違っていなかった場合、町田駅への延伸をこれまで阻んでいたのは、相模原市との合併に対しての町田市の欲目であったということになるわけで…

モノレールの建設が実際に着工されるまでは、サイト名を東京都町田市委員会に変えておいた方が良いかもしれない。

コメント

  1. 匿名 より:

    という八王子への対抗心バリバリの町田市民の妄想でしたとさ

  2. 匿名 より:

    八王子延伸が優先されていたのは、当時町田市でミニ地下鉄または新交通システム方式での独自交通機関整備が計画されていたため、町田市がモノレール計画に関わっていなかったから。
    町田延伸が優先されるようになったのは、その後町田市が独自での交通機関整備を諦めて以降。

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